2013/02/23

[A-056] EPー4 - リンガ・フランカ・1 ('83)

ものすごくご無沙汰しております。早速予想通りのペースダウンとなっている模様です(笑)。こりゃ今年中にも終わらんな…(苦笑)。


[A-056] EPー4 - リンガ・フランカ・1 ('83)



80年代は広告の時代だった。広告からスターが生まれ、ヒット曲が生まれ、コトバやキャラクターや価値観までもが生まれた。経済の大部分は広告だった。日常さえも半分は広告だったかも知れない。

広告はやがて、広告それ自身が目的化する。本来、広告するべきモノの存在を差し置いて、広告そのものが存在の全てになってしまう。広告の為にモノは作られ、いや、広告するモノさえも存在しない広告の為だけの広告が作られ始める。

そして広告は文化となった。広告はサブカルチャーの大きな一翼を担うまでになった。もはや鐘を叩き太鼓を鳴らし商品名を連呼する様な、まるで『広告』の様な広告は『ダサい』と打ち捨てられ、『コピー・ライター』が考案したムードやインパクトを伴ったコトバと、一番売りたかったはずのモノを遠景の片隅に宙ぶらりんとぶら下げたビジュアルで、何の広告だか判らない様な、いや、果たしてそれが広告なのかどうか判らない様な広告が、広く世間を埋め尽くしていた。

『5.21 EP-4』とだけ書かれた小さなステッカーが、都内のあらゆる所に貼られたのは1983年のことだ。説明は一切無く、もしや不穏な団体の不穏なメッセージではないかと云う不穏なウワサまで流れたが、果たしてそれは、広告なのかどうかさえ判らない様な、非常に戦略的な『広告』だったのだ。

EPー4は80年に京都で結成された、形態だけを取れば当時の先鋭的なジャンルであったオルタナ・ファンクのバンドだが、リーダー佐藤薫(Voice, Electronics)のスノビズムや、そのカリスマ性からその音楽以上の存在感をアンダーグラウンド・シーンで滾らせていた。その外へと向かう最初の爆発が『5.21』だった。

1983年5月21日に彼らが企てたのは、メジャーからのデビュー・アルバムの発売日に合わせ、大阪・名古屋・東京でのライブを同日に行うと云う過激な試みだ。そのイベントの為の、何ともゲリラ的な『広告』として、ステッカーは至る所に無数に出現したのだ。

極限まで単純化された『文字』が、それらのイベントでやっと『機能』し始める。それは究極の『広告』だ。潜在意識の中に刷り込まれた『記号』が、ひとつのトリガーで『意味』を持ち始める。そのプロセスの有り様さえ『広告』なのだ。

何もかも上手く行く筈だった。全能たる『広告』は全て許されるはずだった。しかし、同日に発売される筈だったアルバム『リンガ・フランカ・1』は発売されなかった。それは、アルバム・ジャケットに掲げられた、タイトルですらない『コトバ』の為であった。

そこには『昭和崩御』と掲げられていた。昭和天皇が存命だった為、レコード会社の方で配慮が働いたのかも知れない。佐藤薫は「元号である『昭和』が『崩御』するなど意味は無い」と語っていたと思うが、なるほど、それは意味を成し得ない、ムードやインパクトの為の『広告』であったのだ。そしてその事件は、全能であったはずの『広告』の、或るひとつの『敗北』である。

差し替えられたジャケットには『昭和大赦』とある。『5.21』のクーデターは失敗に終わった。乾いたリズム、曖昧なヴォイス、寒々としたグルーブ。朦朧と身体を揺らすジャンキーの如く、EPー4の音楽はその本体である『広告』を剥ぎ取られ、『時代』と云うだだっ広い空間で虚ろに笑うばかりだ。


その他のアルバム

EPー4 - マルチレベル・ホラーキー ('83)



1980〜83年のライブ音源を、カット・アップ的な手法で再構成したアルバム。ジャケットはクリア・ビニールで、そこにクリア・ビニールのレコードを入れたインディーズならではの全透明仕様。おかげでビニールとビニールが癒着して音溝がダメになった(笑)。

タコ - セカンド(ライヴ) ('84)



70〜80年代のアンダーグラウンド・シーンで活動したライター/ミュージシャン山崎春美を中心としたノイズ/オルタナティブ・ユニットによるライブ盤。EPー4の佐藤薫 (Dr, Per, Tape)が参加。今は失われた『アングラ』の残響。

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