2013/01/22

[A-055] フリクション - スキン・ディープ ('82)

ご無沙汰です。『やる気・元気・放棄』の萎え萎えダメ人間が更新するブログです(笑)。今年も生かさず殺さずのスローペースでお送りします。でまあ、今回から『オルタナ・ロック邦楽編』と云うことに相成ります。どうぞよろしくです。


[A-055] フリクション - スキン・ディープ ('82)



70年代末期、NYパンクの中でも異形のモノたちが『ノー・ウェーブ』として隔離…いや(笑)、独自の発展を遂げていた時、『日本のパンク』はどうなっていたのだろうか。

NYの『ノー・ウェーブ』と良く対比されるのが、『東京ロッカーズ』だろう。例のBrian Eno編の『No New York』('78)とデザインやコンセプトが似通ったコンピレーション・アルバム『東京ロッカーズ』('79)が発表されるや、その存在が知られるところとなったムーブメントだ。収録されているアーティストは、フリクション、リザード、ミラーズ、ミスター・カイト、S-KEN。

それらが全て本家の如く破壊的な音楽を奏でていたワケではない。ちゃんと『ロック』や『ポップ』として成立しているモノが殆どだ。だが、アルバムの冒頭に収録されていたフリクションの一曲『せなかのコード』が、このアルバムの印象を決定づけてしまったと云っても良い。暴力的なスライドギター、強迫的なドラム、自棄的に歌われるシュールで未来的な詞。それは、かろうじて曲としてに成立している様な、聞いたことも無い音楽だった。

メンバーのレック (B)、チコ・ヒゲ (Dr)は共に結成以前NYに渡りJames Chance率いるノー・ウェーブの代表格Contortionsに参加、本場を体験した人間だ。彼らはもちろん、ツネマツ・マサトシ(G)の音にも確実にそれが反映されているし、さらに彼なりの美学も加味された濡れた響きさえも感じられる。

だから、坂本龍一がプロデュースした1stアルバム『軋轢』('80)は期待外れだった。どこかラジオから聞こえてくる様な、テレビ越しに見る様な、他人事の様な音。美しい響きも、狂気を感じさせるリズムも、微塵も無かった。そしてツネマツは脱退する。

そして、その二年後発表されたのがこの2ndアルバムだ。新たなギター、そしてパーカッションを入れたその音は、PIL等の影響を受けたと思われる、当初とは似ても似つかないオルタナ・ファンクだ。淡々としたミニマルなリズム、重く沈むフレットレス・ベース、ノイジーなギター。時にはダンサブルで、時には静謐ささえ感じさせる曲には、あの過激さの面影がまるで無い。果たして、彼らはあの『音』を捨ててしまったのだろうか?

いや、彼らは『着地』を始めたのだ。大きく投げ上げた過激で破壊的な『音』の、その『衝動』を『衝動』のまま放り出すのでは無く、その先の『余韻』へと導いたのだ。『ダンス』や『弛緩』や『恍惚』等、音楽が元々持つ『機能性』への変換の為に『解釈』してみせた。オルタナ・ファンクはその最も先進的な『触媒』であったのだ。

だから、似ても似つかないその『音』は、しかしやはり『フリクション』なのだ。コンテンポラリーな響きの中に、あの日に聞いた『過激』が、今にも自身たる『曲』を食い破り、破壊しようと脈打っている。


その他のアルバム

フリクション - Dumb Numb CD ('90)



オリジナル・メンバーのラピス (G)、ミラーズのヒゴ・ヒロシ (G)が加入しツイン・ギターとなったヘヴィー・メタル期のライブ盤。フリクションをどれか一枚となればこれを薦めるのは邪道なれど正解だと思う(笑)。石井聰互監督の同ライブのダイジェスト版ビデオも凄い。

フリクション - ゾーン・トリッパー ('95)



ヘヴィーでソリッドなミニマル・ロック。このアルバムではレック自身もギターを弾いていて、つまりは最終形なんだと思う。…まあ、白状してしまえば、これ以降のフリクションは未聴なのだ(笑)。

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