2012/12/09

[A-054] Faust - So Far ('72)

今回で一応『オルタナ・ロック洋楽編』は終了。次からは『オルタナ・ロック邦楽編』が始まります。と云うか、キリが良いので来年からと云うことにしようかなあ。まあそうなるでしょう多分オレのことだから(笑)。新年一発目は恒例の『2012年オルタナティブ・アルバム・ベスト10』をやる予定であります。恒例っつっても2回目だけど(笑)。


[A-054] Faust - So Far ('72)



『学校』と云うのは、そこで日常を送る者にとっては『世界の全て』だ。それ以外に社会は存在しない。だからこそ、そこで否定されたら生きる希望を失ってしまうのである。『生活』も、『日常』も、『感情』も『風景』も、『学校』の中に収斂して行く。そして『廃校』の不気味さとは、その失われた大量の『日常』の残滓が微笑みながら朽ち果てた、その腐臭に対する潜在的な『怖れ』なのかも知れない。陽射しは、影を生む。その影に閉じ込められる恐怖なのだ。

独の伝説的バンド、Faustは、プロデューサーにして中心人物のUwe Nettelbeckが6人の若いミュージシャンを廃校に閉じ込めることから始まった。彼らはそこで共同生活を送りながら、リハーサルや録音を重ね、1971年、1stアルバム『Faust』を発表する。それらは、サイケデリック・ロックにコラージュされた現実音と電子音と声、破壊的なノイズ、およそ尋常なロックとは掛け離れた、陽気さと破壊衝動の充満した不気味な音楽だった。

廃校での共同生活は続き、翌72年に2ndアルバム『So Far』が発表される。それは前作よりは曲としての体裁は整ってはいるものの、パンク・ロック的なアプローチやクラシカルなギター曲、ミニマルなブラス・ファンクにフォーク・ロックにフリー・ジャズと、まるで統一感の無い、爽快と混沌、冷静と激情をそのまま押し込めた様な不気味な音楽だった。

翌73年に、廃校での未発表音源をコラージュした3rdアルバム『Tapes』が発売される。不気味な音楽だった。不気味

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『日常』から、何を掬い取り、何を踏みにじるのか。狂的な時間の共有。なるほど『学校』こそが、Faustなのだ。


その他のアルバム

Faust - IV ('73)



実質的なラストアルバム。コラージュは鳴りを潜め、間借りなりにも『ロック』的な楽曲が主ではあるが、それらはシンプルなギター・ロックを音響的に変調させることによって色彩を変化させていくと云う、現在の『シューゲイザー』や『ドローン』にも通じる実にモダンなモノだった。

Tony Conrad with Faust - Outside the Dream Syndicate ('73)



米の映像作家Tony Conradとの共作。米の現代音楽家La Monte Youngらのミニマル・ミュージック・ムーブメント『永久音楽劇場』に沿った楽曲たちで、一定のビートを淡々と叩き続けるドラムの上で、弦楽器がひとつの音を延々と奏で続ける。

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