2012/10/14

[A-050] Stewart Copeland - Rumble Fish ('83)

やっっっっっっっっっっっっとこさ半分まで漕ぎ着けたよ。…ってことで、記念に第一回目のアーティストThe Policeのメンバーのソロ特集ってことにします。思い付き感や水増し感バリバリですが、これは当初から計画されていたモノです(笑)。


[A-050] Stewart Copeland - Rumble Fish ('83)



Francis Ford Coppola監督の映画『Rumble Fish』('83) は非常に評価に困る映画だ。ヒトコトで云ってしまえば、怖ろしいまでの『コッポラの美意識』以外は空っぽな映画なのだ(笑)。白黒の映像には、映画の歴史に培われて来た様々な『技巧』に溢れ、風景や小道具や陰影や効果音、アングルや画面移動やピントまでもに『物語』を語らせている。素晴らしい。これぞ『映画』だ。ただ『つまらない』のだ(笑)。

その『美意識』の一部として取り込まれている音楽を、The Policeのドラマー、Stewart Copelandが担当している。映画が公開された83年と云えば、バンドのアルバム『Synchronicity』が発表された年でもあるが、それが結果的にラスト・アルバムとなった事から考えるに、この頃メンバーはそれぞれ個々の活動に力を注ぎ始めようとしていた時期あろう。しかし何故に、コッポラは彼を選んだのだろうか。

映画は典型的なアメリカの田舎町を舞台とした不良少年たちの物語。云い方は古いが所謂『愚連隊モノ』である。しかし荒々しい設定とは裏腹に、画面には荒涼とした町並みと、レトロな空気感に、ぼそぼそと話すキャラ、起伏の乏しい物語が映し出される。これも『美意識』の成せる技なのかも知れないが、監督ももしかしたら、このままでは『アート・フィルム』の如く映画自体が『風景』となってしまうのではないかと危惧したのではないだろうか。静的なこの映画に、何かしらダイナミズムを与える必要が有る。

実は、パーカッションを用いた映画音楽はそんなに珍しいモノでも無い。それは現代音楽に於いてパーカッションが存在を確立していたからと云うことも有る。しかし、Stewartはかなりの技巧派とは云え『ロック・ドラマー』である。彼に期待するとすれば、それは『リズム』しかない。監督は、映画に流れる『リズム』『テンポ』そのものを彼に委ねた。

音楽が流れていない場面でも、彼の繊細なトライアングルが、小刻みに一定のリズムを奏で続ける。そしてレジ打ち、ビリヤードのブレイク、タイプライター、時計等、あらゆる『物音』が、その『リズム』『テンポ』で流れ、通低するそれらが、やがて大きな奔流となって、Policeにも通じる刺激的な彼の『ロック』になだれ込み、ダイナミズムと高揚感を運んで来る。まるで音楽が主役であるかの様な場面も多く、映画音楽の役割としてはトゥー・マッチだとも思えるが、しかし、これが監督の『美意識』なのだ。これで良いのだ(笑)。

そこでふと思ったのが、もしかしたら、これは監督の考える『ロック』であり、そしてその壮大なプロモーション・ビデオなのかも知れないと云うことだ。…いや、そう考えた方が、この映画の『機能』としては納得が行く。『カッコ良さ』『美しさ』そしてと『興奮』。まるで『ロック』だ。もしも監督が、「ロックなんてどうせ空っぽさ。機能さえすれば良いんだ」とばかりにこの映画を撮ったのならば、多分、私の永遠のフェイバリット・ムービーとなるであろう(笑)。

終幕まで貫かれた『美意識』の末、Wall of VooDooのStan Ridgway (Vo,Harmonica)が歌う主題歌もエンド・ロールにピタリと収まり、漆黒の画面には未だ止まぬトライアングルが鳴り響き、やがて消える。『ランブルフィッシュ』と云う『ロック』が、終わる。


その他のアルバム

Sting - Nothing Like the Sun ('87)



ジャズ志向を打ち出した2ndソロ。確かにPoliceの曲の大部分を作曲し、歌ったのは彼であるが、ではPoliceが彼のバンドなのかと云えばそうでは無い。Stewart Copelandが云う様に、Policeに於いて彼は作曲家、Stewartは指揮者、Andyはオーケストラなのだ。

Andy Summers & Robert Fripp - Bewitched ('84)



非凡なStingやStewartに比べてAndyは凡庸なギタリストだ、みたいな論調があるが、多彩な音色や技巧を用い、隅々まで神経の行き届いたプレイで楽曲の風景を創造しているのは彼だ。そしてその資質は御大Robert Frippに通じるところが有ると思う。

0 件のコメント: