2012/08/05

[A-045] Holger Czukay - On the Way to the Peak of Normal ('81)

熱帯夜で眠れない。昼間もぼーっとしている。論理的な思考が出来ない。たとえ文章を書いたとしても支離滅裂なモノになってしまうだろう。云いたい事は大体判って頂けたことと思う(笑)。


[A-045] Holger Czukay - On the Way to the Peak of Normal ('81)



「CDが売れない」と云う嘆きを、最近良く耳にする様になった。アーティスト達はCDの売り上げに頼れなくなった分、ライブやその物販で利益を得ているとも聞く。『音楽』の元々の成り立ちから考えて、実演のみで成立するのであれば、そちらの方が”身の丈に合った”…つまり”中間搾取の最小な”(笑)…”健全な商売”であると云っても差し支えないだろう。

しかし、現在まで、いわゆる『音楽産業』を牽引してきたのは、云うまでも無く、各種レコード、テープ、CD等の『録音物』である。そして、音楽の、特に『ロック』が、『録音物』と云うフォーマットの中で独自の進化と発展を遂げたのは、The Beatlesの例を持ち出すでもなく明白だ。

Holger Czukayは、60年代後期から年代に掛けて存在したジャーマン・ロックの伝説のバンド『Can』のベーシスト。フリー・ジャズや民俗音楽、現代音楽等を取り入れ、独自のトランシーな音楽を紡いできたバンドに大きな影響与えていたのは、彼の非西洋音楽嗜好だろう。かの現代音楽/電子音楽の巨匠Karlheinz Stockhausenの教え子と云うことで、なるほどそのヒネクレ様も頷ける(笑)。

バンド脱退後、初のソロアルバム『Movies』('79)は、CanのドラマーJaki Liebezeitとのスタジオ・セッションにテープ編集を施し、様々な声やノイズなどを挿入したもので、特に『Persian Love』では短波ラジオから流れてきたアラブの歌謡曲や、楽器音、声等を組み入れた『ワールド・ミュージック』のはしりとも云える作品だった。

続く2ndソロアルバムであるこのアルバムも、特にアナログのA面を占める『Ode To Perfume』で、忽然と現れるファズ・ギターに、ゆらゆらと揺れ続けるトレモロ・ギター、そして唐突に挿入されてメロディを奏でる切り張りされた既存のポップス等、どれもがシュールな要素でありながら、総体としてはエモーショナルな瞬間を散りばめた不思議な『ロック』を奏でていた。

彼のアルバム全体に流れる『違和感』『浮遊感』は、ドラムやギターをわざわざテープの回転数を違えて録音し、再生時にピッチを変えると云う手法に負うところも大きい。それらは正に『録音』による表現、『録音芸術』を目指したモノだった。有体に云えば、『ライブでは再現出来ない音楽』である。彼の音楽は、テープの上で初めて成立するのだ。

多くのロック・バンドが、「ライブにこそ自分達の本質がある」と云う。まるで録音物はマガイ物だといわんばかりだ。マガイ物が売れないのは当然だろう。しかし、そのマガイ物の中にこそ本質を込めようとした人々、そして、その中でしか成立出来ない『音楽』が確かに存在したのだ。『パッケージとしての音楽』の未来は決して明るくないのかも知れないが、矮小なライブ空間には無い無限の表現世界がそこには有る。


その他のアルバム

Holger Czukay, Jah Wobble, Jaki Liebezeit - Full Circle ('82)



12インチで既発の4曲に『Radio Pictures Series』なる2曲を加えた、PILのJah Wobbleの重低音ベースが響くオルタナ・ファンク・アルバム。『Persian Love』はイッセイ・ミヤケ出演のCMソングになったが、このアルバムの一曲目『How Much are They?』もスクーターのCMソングになった。確かJohn Foxxの『Europe After the Rain』も同シリーズで使われていたと思う。ようワカラン時代だった(笑)。

Can - Future Days ('73)



泣く子もトリップするジャーマン・オルタナティブ・ミュージックの金字塔。まさしく『音響の洪水』。

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