[A-030] 高橋幸宏 - 薔薇色の明日 ('83)
よう兄弟。今回はちょっとアブない話をするぜ。まだ誰も知らない、秘密の話だ。その名も『YMO役割交換説』。…おっと、この話は口外無用だぜ。まあ、云ったとしても誰も信じちゃくれないだろうがね…。
YMOが悲劇的だったのは、集まった才能が天才だったのはもちろん、その三人が非常にバランスの取れた三人だったってことだ。何?…『悲劇』では無いじゃないかって?…まあ、そうだろう。バンドとしてのクオリティは非常に高いモノだったからな。それは、お互いがお互いに無い才能を持って、補完しあっていたからだ。それは高橋幸宏の『ロマンティシズム』、坂本龍一の『アカデミズム』、細野晴臣の『ポップ』と、それぞれがその才能を楽曲に持ち込むことによってバンドは成功するワケだが、じゃあ、個々の中の『天才』はそれで済むのか?…ってことだよ。
『天才』とは、ナカナカに嫉妬深いモノだぜ。それもこれも、自信に裏打ちされた傲慢な程の『オレが一番』って自尊心が有るからだ。だから、自分に無い才能に出会うと、猛烈に嫉妬する。嫉妬の挙句、それを自分のモノにしようと思うワケだ。
その傾向が最も顕著なのが、坂本だろうな。彼はなまじアカデミックな知識が有るから、自分の中に無いモノに出会うと、その分析を始め、そしてそのモノに対するロジックを構築する。代表曲『Behind the Mask』なぞは、R&Bの分析、再構築から生まれた曲だろうね。彼はアカデミズム特有のストイックさから情緒的なモノには疑心暗鬼だったのだが、それだけに情緒の塊、端的に云えば『お洒落』な(笑)高橋の迷い無きロマンティックな作風にショックを受け、興味を抱き、分析し、自分のモノにしようとしたんだろう。
で、細野は、そんな坂本のアカデミックで理詰めの方法論や分析して自分のモノにしてしまう技術や、何よりもその知的な存在感に嫉妬していたんだろうな。しかも、自分のプロジェクトだったYMOを、全ての才能を吸収し、誰よりも上手く運用し始めた彼に乗っ取られてしまうに及んで、結局これを放り出そうと思ったんだろう。商売的にすぐにとは行かなかったみたいだがね…。
そして高橋は、そんな細野のポップセンス、特にはっぴいえんどからソロ活動に連綿と流れる、フォーク的なセンスに憧れてしまった。洋楽のバタ臭さから、邦楽のカビ臭さみたいなモノに魅力を感じる様になって行ったんだな。
この『薔薇色の明日』は、英語詞と日本語詞、バタ臭さとカビ臭さがせめぎ合い、ロマンが自家中毒を起こしているような、むせ返る様な甘いメロディ溢れる傑作なんだが、YMOの解散後、彼はこの甘さまでをも捨てて、ただ地味に、内省的に、自分の弱さを歌う、ペシミスティックな、『シンガー・ソングライター』になっちまう。
細野は細野で、アンビエント・ミュージックやエレクトロニカ等、ポップを否定し、いちいち理屈が付いて回りそうな『知的』な音楽の探求を始め、坂本は汎用的で凡庸な『ロマンティック』な映画音楽やポップスを作り始める。こうして、それぞれがそれぞれの才能の代理行為を始めると云う奇妙な活動が始まるんだが、そのどれもが『つまらない』のは、やはり本来の才能じゃないからだろうねえ…。
おっと、『つまらない』に同意出来ないのなら今回の戯言を一笑に付してくれ。ただ、少しでも共感出来るなら、もしかしたら一千分の一、一万分の一でもココには真実が有るのかも知れないぜ。まあ、どう考えるかはあんたの自由だ。…じゃあな兄弟、また会おうぜ。
その他のアルバム
加藤和彦 - うたかたのオペラ ('80)
YMO周辺がサポートした、デカダンに熟れ落ちる『西ベルリン』録音盤。高橋幸宏はミカバンドに在籍時、このヒトのロマンティシズムやダンディズムに影響を受けたんだと思う。後にニヒリズムの先で加藤が首を括ってしまったのは、何とも悲劇ではあるけれども。
Pierre Barouh - Le Pollen ('82)
YMOやムーン・ライダーズ周辺がサポートした往年のフレンチ・ボサノヴァ歌手の企画モノ。彼の出演したClaude Lelouch監督の映画『男と女』('66)が、日本の80年代文化に於けるヨーロピアン・ロマンティシズムの原器みたいな認識が自分には有る。
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