2012/02/10

[A-029] 原マスミ - イマジネイション通信 ('82)

Googleの三月から施行される新しい規約が個人情報的に結構ヤバイらしいのだが、ココでブログを始めてしまった以上もう逃げられまへん(苦笑)。煮るなり焼くなりしておくんなましグーグルはん…。あ~~れ~~(笑)。


[A-029] 原マスミ - イマジネイション通信 ('82)



ニュー・ウェーブと云うジャンルに於いて、それでは『コトバ』は一体どうなってしまったのだろうか?

60年代、70年代の日本には連綿と『フォーク』なる音楽文化が有り、発展を遂げて来た。そしてそれは、反戦、扇動、説教、断罪、自然に情景、人間賛歌、叙情に猥褻、空想妄想、日常描写にシュールレアリズムまで、広範囲な『コトバ』の文化でも有った。それらはヒトの中で、いわゆる『文学』と同じ回路で処理されるべきモノであったろう。

一方、勃興したニュー・ウェーブはとても乾いた音楽だ。それは『パンク』から発展したことも有って、そこに乗る『コトバ』はとても尊大でネガティブ且つバタ臭いモノであり、日本のフォークの持つヒトの『情』に訴える様な濡れた部分はこぼれ落ちてしまう。何よりその比重は『音』により重く、多分ポピュラー音楽では史上初めて『音響』そのものを曲の表情として成立していた。楽器や機材の発展やスタジオでのプロデュース・ワークの複雑化、受け手のオーディオの進化等がその要因として上げられるだろう。

しかし、多くの日本人にとって『洋楽』とは元々その様なモノだった。意味不明な言語で歌われていても、その音を純粋に『音楽』として楽しんでいたのだ。だから、その影響が大きいジャンルの音楽を日本のモノとして咀嚼する間、『コトバ』はしばらく置き去りになるのかも知れない。しかし、その咀嚼を待たず、逆に、既存の日本の音楽を新しい音楽形態に摺り合わせる場合も有った。

原マスミ (Vo,B)はシンガー・ソングライターであり、シュールな作風のイラストレイターでもある。デビューアルバム『イマジネイション通信』は、そんな彼のシュールなコトバの世界を、Pinkの岡野ハジメ(B)、EP-4のBANANA-UG (Key)、Killing TimeのMECKEN (B)、四人囃子の岡井大二 (Dr)、Parachuteの斉藤ノブ (Per)、『Sowaka』の沢井原兒 (Sax)等などの錚々たる面々によって『ニュー・ウェーブ』として具現化されたシュールな『フォーク』だ。

そのコトバは飽くまでも自分と云う『個』を中心とした世界だ。『人間』でも『我々』でも『彼ら』でもなく、『ボク』の周囲のシュールな情景に向ける、自分と云う『個』の情動だ。結局、『個』であることを忘れて尊大になってしまった音楽の『コトバ』を、もう一度『個』の世界に引き戻したのは『フォーク』であり、『私小説』であり、『純文学』だった。

尖った音に紛れてすかすかと通過して行った『コトバ』を、もう一度ヒトの中でキチンと処理させる為に、確かにそこに存在し、聴いてくれているであろうヒトの『情』に対し、照れながらもちゃんと訴えようとした、これは、すごく小さくて、無邪気で、愛らしく切ない『オルタナティブ』だ。


その他のアルバム

早川義夫 - かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう ('69)



伝説のサイケデリック・ロック・バンド『ジャックス』のボーカリストの1stソロ。神経に直接触る様な『コトバ』にさくりさくりと切られる。『もてないおとこのうた』はいつ聴いてもツラい(笑)。『イマジネイション通信』の終曲『ピアノ』のストリングスのコーダを聴いた時、このアルバムの『朝顔』のオルガンによるコーダを連想したりもして、タイプは違えどふたつのアルバムはどこか似通っていると私は思う。

スチャダラパー - 5th Wheel 2 the Coach ('95)



今、音楽に於ける『コトバ』を担っているのは、『J-Rap』と呼ばれるジャンルの彼らを代表とするヒトたちなのかも知れない。これは古いアルバムではあるけれど、スノビズムに溺れない、『コトバ』本来の美しい佇まいが有る様に思える。

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