2012/01/26

[A-027] ゲルニカ - 改造への躍動 ('82)

元々その傾向は有るのだが、特に最近はこのブログの内容のせいかレイドバック具合がひどい。iTunesで78~84年のニュー・ウェーブ黄金期のスマート・プレイリストを作って日がな一日パワープレイする始末(笑)。まあ、…このブログがもうちょっと進めばそこから抜け出せるとは思うのだが…まだ全然先かな…。


[A-027] ゲルニカ - 改造への躍動 ('82)



ニュー・ウェーブ、その中でも特にテクノポップは『未来的』だ。何しろ、何だか判らないが色んなキカイを使って自動で曲を演奏しているのだ。そう、それはロボットであり、コンピューターであり、つまりは『未来』だ。…SF映画が大好きだった少年がそう思ったとしても、不思議ではないだろう。ユートピアだろうがデストピアだろうが、それらは彼にとって『未来の音楽』だったのだ。

ゲルニカが結成されたのは1981年、上野耕路 (Syn,Vln)、戸川純 (Vo)、そして作詞及びコンセプト担当のイラストレーター太田蛍一によるユニットだった。少年が最初にその音に触れたのはデビュー・アルバム『改造への躍動』。あのテクノポップの大御所『YMOの細野晴臣』が立ち上げたレーベル『YEN』の初リリースとあって、膨らむ『未来』への期待と共にレコードに針を落とした。

何だか判らないキカイを使って演奏された曲は、しかし、戦前戦中戦後の歌謡曲をシミュレートした、プロレタリアートとデカダンとロマンと下世話がないまぜになった、何とも云えない不気味で無邪気で不可思議な音楽であった。…少年が初めて『モンド・ミュージック』と云うモノの片鱗に触れた瞬間かも知れない(笑)。

理解は出来なかった。しかし、拒否反応も起こらなかった。特に、聖女の様に清らかかと思えば売女の様に下世話に歌い、はたまた童女の様な無邪気かと思えば乙女の様に切なく歌う、形容し難いヌエの如き女性ボーカルが強烈で、自宅でシンセサイザーを多重録音したバックトラックも、その音質的なチープさで逆に彼女の表現の『異様』を引き立てつつ、オーケストラルな曲からジャズ歌謡まで自在に奏でた。とにかく、今まで聴いたことの無い音楽が、かなりの高いレベルにて表現されているのは明らかだったから、少年は理解しようと何回も聴いたのだ。…そして、ハマってしまった(笑)。

ライブへ行ったり、女優活動をしていたボーカルの姿をテレビで追ったりもした。しかし、ソロデビューもした彼女の活動が多忙になった為か、ゲルニカはそのままフェード・アウトしてしまう。少年は彼女のソロにはあまり興味を持てず、そのまま彼らに対する想いも薄れてしまっていた…が、突然に彼らは復活する。88年に突如として2ndアルバム『新世紀への運河』を発表し活動を再開した彼らは、翌年に3rdにして現時点でのラスト・アルバムである『電離層への眼差し』を発表する。

復活したゲルニカでは、あのチープなシンセによる多重録音は全て実際のオーケストラやビッグ・バンドによる演奏に置き換えられた。そう、ヒトコトで云えば『ゴージャス』になったのだ。チープさに意義を見出していた少年は、2ndではその事に違和感を感じて以前の様に受け入れることは出来なかった。…いや、少年ももうオトナになっていたが…(笑)。

しかし、3rdを聴いた時、彼は「ああ、」と思った。ボーカルの表現力が以前よりも進化していることに気が付いたのだ。このボーカルにあのチープなバックだったとしたら、今度は浮いてしまうだろう。そしてその作風も、以前は云わば『シミュレーション』であり、云ってしまえば『パロディ』であり、自覚的に奏でられた『モンド・ミュージック』だったのだが、今回の作品群は、コンセプトは変わらねど『本気』である。ボーカルも、演奏も、本気で聴く者を『感動』へと誘おうとしている。そしてその通り、元少年は感動したのだ。「ああ、そうか。これは『未来』だったんだ…」

最後のアルバムの最後の曲『陸標』の延々と繰り返されるオーケストラによる後奏に、彼は少年の日を想う。彼の部屋には、ライブの物販で買ったゲルニカのポスターが、未だに壁に有る。そしてそれは、時が経ち、赤茶け、煤ければ煤けるほど、本来の姿に近づいている様に彼には思えるのだ。遠い未来に完成する音楽。ゲルニカは延々と繰り返し、鳴り続ける。


その他のアルバム

戸川純 - 玉姫様 ('84)



1stソロ。まさか時代を代表するキャラクターになるとは本人も思っていなかったろう。『不条理』や『異常』に過大な価値を求めていた時代に、彼女はうってつけだったと云うことだろうか。しかし、現在までにわらわらと涌いて出たフォロアーを含めても、彼女は飛び切りの『正気』のヒトである。…と、私は思っている(笑)。

サイズ - Two Hearts ('91)



ゲルニカもそうだが、80年代から90年代に掛けて、ボーカルの女性と打ち込みその他の男性と云う男女デュオ・ユニットが多数現れた。DTM環境の発展によるものだと思われるが、サイズはその中でも成功したもののうちのひとつだろう。それらは昨今の『ボーカロイド』文化に脈々と受け継がれている。

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