2012/04/05

[A-035] Tangerine Dream - Rubycon ('75)

何だか年代があっちゃこっちゃ行っちゃってますが、その日の気分でチョイスしてますので気にしないで下さい(笑)。


[A-035] Tangerine Dream - Rubycon ('75)



ヒトは自然の中に『美』を見出していた。そして、その自然を描写することの芸術性を昔から認識していた。それは『神』の創造に対する敬意もあるだろうが、しかし宗教的な意味を取り去っても、自然の『美』は『美』として存在することを知っていた。

Tangerine Dreamは67年結成の、ジャーマン・ロック黎明期に登場したバンドだ。Edgar Froese (G,Syn),を中心に、初期にはKlaus Schulze (Dr)やConrad Schnitzler (vlc)と云った伝説的なメンバーが在籍した。Froeseが米の革命的ギタリストJimi Hendrixに影響を受けていたからか、1stアルバム『Electric meditation』はサイケデリックなアート・ロックであった。

しかし、初期のメンバーが去り、Christopher Franke (Key,Syn)とPeter Baumann (Key,Syn)が相次いで加入し、当時発展著しいアナログ・シンセサイザーを大々的に導入するに至って、バンドの音は大きく変貌する。アナログ・シーケンサーによって緩やかに変化しつつも繰り返されるリズミックなオスティナート、シンセとキーボード群による分厚い音のうねり。所謂『ロック』的なリズムの恍惚と、メロディーによる叙情に加え、曲の上空に広がる壮大な空間と、眼下に淀む混沌とした深淵が、『ロック』を超えて未知なる情動を聴く者に与えた。

『Rubycon』は、その手法を初めて取り入れた5th『Phaedra』('74)に続き発表されたアルバムで、タイトルは、ジュリアス・シーザーが「賽は投げられた」のコトバと共に渡ったかの有名なルビコン川の事である。このタイトルが何を意味するのか、彼らの何らかの決意が込められているのかどうかは判らない。…が、これは確実に『自然描写』を念頭に置いた音楽であると云えるだろう。

小さな滴り、ゆるゆるとした不定形なせせらぎが、やがて早駆ける流れとなり、深みに陽光を沈ませる大河となり、黒々と開けた大海に注ぐ。これは、『瞑想』『宇宙』『呼吸』『時間』等を題材にして『メンタル・ミュージック』を追求して来た彼らが、極めて人工的な『電子楽器』を用いて自然を描写する事により、人間の根源に在る『美意識』を覚醒させた、或る意味『ニュー・エイジ・ミュージック』の萌芽とも云える作品なのだ。

同じく『メンタル・ミュージック』を封印し、同じく『電子楽器』を用いながらも、『自動車』『鉄道』『ロボット』や『コンピューター』等の人工物を題材にキッチュな『テクノ・ポップ』を創始し、成功したKraftwerkと、迷走しつつもポップ化を目指したその後のTangerine Dreamを見るに、結局『Rubycon』とは一体何だったのだろうかと考えてしまう。彼らにはやはり何らかの選択肢…または何らかの矜持…を捨て去る大きな決断が有ったのだろうか。

実際のルビコン川は音楽から想像される様な大河ではなく普通の川だそうで(笑)、…まあでも、キモチは判る。ドイツより想えば、歴史に名高いイタリアの大河なのだ。『神』が創造した運命の流れなのだ。


その他のアルバム

Tangerine Dream - Exit ('81)



あの”81年”に、あの”Tanerine Dream”から届いた、堂々たる『テクノ・ポップ』への回答。ドイツ気質のどうしようもなく大仰な曲調を、PPGシンセのどうしようもなく図太い音でやると、どうしようもなく重厚な『テクノ・ポップ』が出来上がるのである(笑)。

Edgar Froese - Epsilon in Malaysian Pale ('75)



『Rubycon』が気に入ったなら、正編と云われる暗くてオドロオドロしい前作『Phaedra』を聴くよりも、このFroeseの2ndソロを聴いた方が良い。『Rubycon』と同じく、壮大な空間を漂い、やがて疾走するあの感覚を味わえる。

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