[A-025] 細野晴臣/イエロー・マジック・オーケストラ - Yellow Magic Orchestra ('78)
電子楽器を自動演奏させた『リピート・ミュージック』が、やがて『ミニマル・ミュージック』的な構造を持ち、複雑化して行くのは容易に想像出来る。では実際、それを『テクノ・ポップ』として完成させたのは誰であろうか?
電子音楽のポピュラー化に於いて重要なのは、やはりドイツの『ジャーマン・ロック』『クラウトロック』周辺のアーティストに拠る70年代初期に於ける数々の実験だろう。そして、そこではごく初期のシーケンサーを用いた自動演奏を聴くことが出来る。まあ、自動演奏と云っても扱える音数は少ない。必然的に繰り返されるアルペジオ・パターンが主となるが、その均等に刻まれる16ビートのグルーブが快感となることに気付く。Ash Ra (Manuel Gottsching)やTangerine Dream、Klaus Schulzeなどがその快感に身をゆだね、数々の作品を発表して行った。
イタリア出身のGiorgio Moroderは、70年代中期にさらにその16ビートのシーケンスの快感原則をDonna Summer等のポップスへと転用し、『ミュンヘン・サウンド』と呼ばれるディスコ・ミュージックとしての追求を行った。
さあそこで御大Kraftwerkである。彼らも電子音楽を追求してはいたが、飽くまで極限までシンプルな『ロックのシミュレーション』として楽曲を構築していた。少なくとも『Trans-Europe Express』('77)まではそうだ。…そう、彼らも、そして誰もが、『テクノ・ポップ』を完成させる為の『あること』に気付かなかったのだ。
細野晴臣(B,Syn)はベーシストだ。だからピンと来た。つまり『ミニマルにリピートするベース・パターン』こそが『電子音楽』の『ポップス』としての完成形ではないのか、と。…そう、その方法論にはルーツが有る。『ファンク』だ。『テクノ・ポップ』は『ファンク』と同じ構造を持つべきである事を、彼は見抜いた。
『Fire Cracker』は、つまり、あのMartin Dennyに拠るメロディではなく、繰り返されるベース・パターンこそが主であり、彼がこの曲を『エレクトロ・ディスコ』として全米でヒットを狙うと結成時にブチ上げたのも、そこにMotownやStax等の諸作と同じファンク・テイストがあるからこその自信だったのだ。同じ年に発表されたKraftwerkの『Man-Machine』に比しても、『Fire Cracker』は確実に黒い。
Giorgio Moroderの16ビート・シーケンス、Kraftwerkのシンプルなオクターブ、Ultravoxの重い白タマなどではない、ファンク・ベース・パターンを取り入れたこの最初期の細野晴臣/YMOこそが、だから、今あるHip-Hopの原型であると云ってしまうのは…まあ、Kraftwerkをサンプリングした『Planet Rock』('82)を出したHip-HopオリジネイターAfrika Bambaataaの手前、無理があるかも知れないが(笑)、この後ちゃんとKraftwerkも『Computer World』('81)でミニマル・ファンク化するのが、逆に言えば先見の明と云うことで、やはり元祖Hip-Hopなのである(笑)。
テクノ・ポップの黎明期に、さらにその先まで直感的に見通していたであろう細野氏の誤算は、他の二人に才能が有り過ぎた事だろう。結局、彼はグループをコントロール出来なくなり、『ファンクネス』はやがて他二人の趣味である『ロマンティシズム』の霞に沈んで行く。
その他のアルバム
Yellow Magic Orchestra - Solid State Survivor ('79)
2nd。『Absolute Ego Dance』に於けるコンプの掛かりまくった凄まじい音圧のベース・シーケンスが衝撃的だった。ハードコア・テクノの始祖はこっちだと思う。
YMO - BGM ('81)
ヨーロピアン・デカダンの空気感。…1981年は多くのオルタナティブ・ミュージックの傑作が生まれた『変態音楽絶頂年』なのである(笑)。それについてはそのうち別項で語ろうと思います。
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